


1959年10月
従業員とバンドマン達 |
1947年、終戦まもない久留米大学医学部近くの戦災住宅に
一枚の張り紙を張る仲のいい夫婦の姿があった。
夫、伊藤大輔、妻、静枝であった。

二人は台湾から引き揚げたばかりであった。
張り紙には、「ダンス教えます!」と書かれてあった。
張り紙を見つめる二人の目は、夢と期待に満ち溢れていた。

数日後、生徒が徐々に増え始め、近所の評判となった。
やがて空前のダンスブームとなり、多くの生徒に囲まれるようになった。
ダイナの名前は少しずつ久留米市内に広がっていった。

その後、教室は「ダンスを通してのコミュニケーション・ビューティ&ヘルシー」をコンセプトに
生涯学習的要素を取り入れ、現代流、競技ダンスを頂点とする本格的社交ダンス教室として伝統と格式を重んじながらも、気軽に学べるソシアルダンス教室として現在に至っている。

−−踊りとは神が与えたもうた最高の贈り物である−−
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